松江美季(マセソン美季)さん
長野パラリンピック金メダリスト
両下肢完全麻痺でありながら2児の母親となり、現在カナダ在住。
平成5年10月
当時20歳であった彼女は通学途中に交通事故にあいました。
柔道の早朝練習に出かけるときにトラックにはねられたのです。
K大学病院に緊急搬送され、脊髄損傷とういうことで国立療養所村山病院(現在の村山医療センター)に転送されました。
頸椎脱臼骨折、腰椎脱臼骨折、両肺挫傷、肺水腫と診断されました。
頸椎で神経が圧迫され両方の上肢は不全麻痺の状態、腰椎での神経の圧迫はさらにひどく両方の下肢は完全麻痺の状態でした。
平成5年10月22日
呼吸状態も非常に悪く、すぐに挿管され、人工呼吸器による管理が必要となりました。
受傷から3日目、薬で眠っていた彼女は無意識に鼻に挿入されていたチューブをぬいてしまいます。まだまだ彼女の両腕には筋力が残されていたのです。これを聞いた主治医(現在は院長)は思い切った治療に踏み切ります。
当時のカルテ(原文)
10月24日 Condition no change
Harn流出 やや↓
グリセオール、ラシックス 適宜
15:00 マーゲン抜去したらしい
ということは
Post injyury 56 hours
受傷後56時間、全身状態的にはまだまだ安定しているとはいえない時期に頸椎の脱臼骨折を手術的に治療することにしたのです。脱臼したままではいずれ上肢の機能も失われることになるであろう、それならばできうる限り早期に手術的に脱臼を治してあげたい。
腸骨から骨を取り出し、頸椎に移植して神経の圧迫を除圧しました。
10月25日
もともとアスリートであった彼女の回復はすばらしく、全身状態は改善していきます。人工呼吸器も必要なくなり、1週間後には声を出せるようになりました。しかし残念ながら両足は動くどころか、感覚もまったく失われていました。
当時のカルテ(原文)
11月7日 本人より質問あり
足は動くようになるのか
説明
下肢に関しては回復は
むずかしいかもしれない
可能性は0ではないが
まずむずかしい
今後はリハビリで現在ある
ものをきたえていく
受け入れるまで時間がかかる
と思うががんばってもらうしかない
柔道はやれないかもしれないが
他のスポーツを
車椅子でがんばっている人もいる
両親に、話ししたことを説明
11月18日には脱臼して不安定になっていた腰椎の手術も終了しました。
この後、本格的なリハビリが開始となりました。最初はティッシュをつまむのも大変であった手指もなんとか日常生活にはこまらないくらいに回復しました。
彼女が村山を退院するまでは1年以上かかりました。
しかし入院中から、水泳、車の運転練習を開始し、上肢の筋力は弱く、両足はうごかないまでも社会生活への復帰をめざして努力しました。
平成10年3月に第7回冬季パラリンピックが長野でおこなわれました。これはアジアで初めて開催された冬季パラリンピックでもありました。
この大会で彼女はアイススレッジスケートにて金メダル3個、銀メダル1個といった快挙を成し遂げます。
その後、長野パラリンピックの選手村知り合ったアイススレッジホッケーの選手ショーン・マセソンさんとアメリカ留学中に再会、結婚にいたります。結婚してカナダに住むことになった彼女は自然分娩によって2人の男の子の母親となりました。
現在は "Abilities Centre"という施設をオタワに建設する為にBoard Direcotor の一員として、プロジェクトに取り組んでいます。障害のある人も無い人も、若い人も高齢者も、違った能力を有する人たちが、何かしらのアクティビティーに取り組むことが出来る施設です。同じような麻痺のある人を助け、勇気を与える仕事にいそしんでいます。
当時のカルテをみながら この部屋に入院していたんです(7病棟にて)
これからもがんばってください。
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