令和2年4月1日より国立病院機構村山医療センターの院長を拝命いたしました谷戸祥之と申します。新型コロナウィルスにより世界中が不安と不況の波に襲われる中、伝統ある当院を率いていかなければならないという重圧をひしひしと感じています。
当院は昭和16年、陸軍病院として発足し、その後、国立村山療養所、国立療養所村山病院を経て、平成16年4月には、全国143施設を有する独立行政法人国立病院機構の1つとして新たにスタートし、現在に至っています。国立病院機構の中では、骨・運動器疾患グループのリーダーとして位置づけられています。整形外科の常勤医師は19名と多くこれだけのスタッフをそろえた施設は稀有であります。当院の脊椎脊髄センターは山根医師を中心とし主に手術治療を行っています。令和元年度の脊椎・脊髄手術は1127件とおそらく日本で1,2位をあらそう件数であったと思います。そしてその内容も多岐にわたり顕微鏡手術、内視鏡手術、ナビゲーション手術などほぼすべての手術法に対応しています。脊椎側弯症や脊椎カリエスといった一般病院では困難な治療も積極的に行っています。人工関節センターは吉原医師と笹崎医師を中心とし年々増加する膝痛や股関節痛の患者さんに対応し昨年度は322件の手術を行いました。手外科センターは加藤医師により外傷も含め392件の実績を収めました。麻酔科は高松手術部長と児玉医師2名の常勤体制となり多くの非常勤医師とともに年間約2000件の手術に対応しています。リハビリテーションセンターは植村医師を中心とし、理学療法士(25名+4名増員)、運動療法士(14名+2名増員)、言語聴覚療法士(4名)とともに対麻痺、四肢麻痺や脳梗塞後の片麻痺などに対応しています。昨年度までは骨・運動器リハビリ病棟は土曜日、日曜日のリハビリはお休みとしておりました。本年度は職員増員によりなんとか365日のリハビリが可能となる見込みとなりました。外科は大石統括診療部長と飯野外科部長により主に腹部外科、鼠径ヘルニアの内視鏡手術も施行しております。内科は本年度より池田啓子医師を迎え2名体制となりました。歯科は本年度より吉武桃子医師を迎え新体制が発足いたします。
当院の最大の特徴である脊髄損傷治療は手間もコストもかかり病院経営的には非常にきびしい部門です。特に頸髄損傷患者さんの治療においては病院にはいる収入よりも患者さんにかかるコストのほうが大きくなってしまうため、一般的な病院では敬遠されるのが現状です。では敬遠される患者さんはどうなってしまうのでしょう。現在日本には脊髄損傷治療を専門にしている病院は北海道と九州に2か所しかありません。当院のように国、都、市からなんら援助を受けていないこの病院がこの分野で臨床も研究も教育も必死の努力を続けるのはもはや意地とプライド、これがいわゆる矜持でしょう。
実際、当院は急性期から慢性期までの脊髄損傷患者さんの一貫した治療を期待されています。しかし当院の外来棟はすでに建設から50年が経過しております。とても急性期の脊髄損傷患者さんを受け入れる救急外来の設備には程遠いのが現状です。昨年3月に新病棟が完成しましたが、現在の最大の課題は新外来棟を含めた残るすべての施設の建て替えです。我々はその建設許可が下りるのを悠長に待っていられないのです。本年度には急性期脊髄損傷に対するHGF投与の治験や亜急性期脊髄損傷に対するiPS細胞移植の治験が当院にて開始される予定です。ヒポクラテスの時代から決して治ることがないとされてきた脊髄損傷も人類の英知はこれを克服するかもしれないという可能性が出てきたのです。
医を行う者たちよ、患者を治療するのは自然と人間の無限の戦いであり、離婁(りろう:どこまでも見ることのできる神様➡完璧な診断学)のような鋭い洞察力、着眼力で病気を見つめ、麻姑の手(まこのて:神様のどこまでも届く手➡究極な治療学)のような熟達し神業のような技量を持って、あくまであきらめずに病気を追い詰め治療をせよ。福沢諭吉先生は“贈医”によってすべての医療関係者に対するすばらしい言葉を残されました。平成でも昭和でも大正でもない時代に発せられたこの言葉こそ今まさにこの時代、この世界のためにあるものと思います。医療者にはこの苦しい時代であるからこそ医療の原理原則に戻り、できることを、すべきことを、患者さんのための医療をあきらめることなく追求する義務があります。村山医療センターもこれまでの長い伝統を踏まえたうえでさらに臨床に研究・教育に努力し、より近代的・先進的な村山医療センターへと進化していく所存であります。これからも宜しくお願いいたします。
(2020年4月)